史上初の中学生プロ棋士として、「神武以来の天才」の呼び名を欲しいままにした加藤一二三九段。しかし棋士人生初期のタイトル戦では、大山十五世名人の分厚い壁の前に、何度も涙を飲んでいます。本局はそんな加藤九段が悲願の初タイトルを獲得した1968年の十段戦最終局です。
1969年1月6日
大山康晴十段(3勝) vs 加藤一二三八段(3勝)
対局場:東京都千代田区「福田家」
持ち時間:各9時間
史上最年少の18歳でA級昇級を果たした加藤八段は、A級3年目の1960年には早くも名人戦で初めてタイトル戦の舞台へ登場しますが、全盛期の大山名人の前に1勝4敗で敗退します。その後も度々タイトル挑戦を果たしますが、5回連続で全て大山名人に敗れていました。
しかし6度目の挑戦となった十段戦では、第6局で大山十段が詰みを逃すというまさかの出来事もあり、加藤八段は時の第一人者を初めてフルセットまで追い詰めて本局を迎えていました。
最終局は大山十段の先手となり、大方の予想通り振り飛車対居飛車急戦の対抗形となります。
ここで▲5六銀と繰り出したのが思い切った一手。▲4五~3四銀と出る手を見せて玉頭戦に持ち込もうとしています。大山将棋は玉頭付近で金銀がゴチャゴチャと入り乱れるような展開で無類の強さを発揮しましたが、序盤からそのような展開へ引きずり込む差し回しもよく見受けられました。
とはいえ、後手も△7六歩、▲5九角、△7五銀と、銀を5段目まで進出させて不満のない展開です。
後手が△7四飛と引いて銀取りをかけた局面。大山十段は▲3五歩と受けましたが、△6六銀と出られて飛車が抑え込まれる展開が濃厚となり、加藤八段がペースを握ります。
当然の一手に思える▲3五歩では、代わりに▲4五歩(!)と突く手が勝負手だったようです。△3四飛で銀を取られてしまいますが、▲7六飛と走ると、△7三歩には▲7五飛~8五飛、△7四歩には▲4四歩と突く手が▲5五角と▲7四飛の両狙いの絶好の一手となります。5五銀が不安定なため後手も振り飛車のさばきを完全に封じることは難しく、銀損でも実戦的には難しい勝負でした。
飛車を逃げるようでは△7四竜で攻めが切れてしまうため、大山十段は▲7三歩成と踏み込みます。以下△6四歩に▲4四桂、△3一玉、▲3二銀、△同金、▲5二桂成と肉薄し、後手玉も気持ちが悪い形です。
ここで△1三桂と跳ねた手が勝利を大きく手繰り寄せた決め手でした。後手玉の逃げ道を広げながら先手の玉頭を守る銀にアタックする一石二鳥の手で、以下▲3六銀、△2五銀打、▲4七銀引、△3六香と進んで後手の攻めが急所を捉えます。
△2九角を見て大山十段が投了し、加藤八段が念願の初タイトルを掴みました。以下は▲同玉に△4九竜以下の並べ詰めです。
「この十段戦に勝って棋士として生涯やっていける自信と、棋士という仕事に対する信念を得ることができた」
(「加藤一二三名局集」より)
加藤九段はこの後、大山15世名人や中原16世名人らと、タイトル戦で幾多の名勝負を繰り広げて行きます。その将棋の根幹を形成したのは、無敵の大山名人を倒すために試行錯誤を繰り返した、若手時代の苦難の日々だったのではないでしょうか。