棋王戦第3局で永瀬拓矢七段に快勝し、防衛に王手を掛けた渡辺明棋王。その対局では、午前と午後のおやつ、そして昼食でもバナナを注文するという珍手を繰り出す挑戦者に対し、渡辺棋王は王道ともいえるショートケーキで勝利しました。
今回はトップ棋士の中でも人一倍強いこだわりを持つ、渡辺棋王のおやつにまつわるエピソードをご紹介します。
タイトル戦で出される3時のおやつを「何よりも楽しみにしているので、廃止されては困る」と常々語っている渡辺棋王。ただし、多くのおやつ伝説を残してきた加藤一二三九段とは異なり、渡辺棋王は量より質を重視するタイプです。
遠征先へ体重計を持ち込んで毎朝図ったり、健康のために連盟のフットサル部で活動したり(そこで右手の指を骨折してしまったこともあるようですが)と、体調管理にも気を使われている渡辺棋王ですが、対局以外では時に指し過ぎになってしまうこともあるようで:
藤田女流「この間多賀城(宮城県多賀城市)で将棋フォーカスの公開収録(11月29日放送)をしたんですけど、その帰り、5時か6時の新幹線に乗る前にお茶をしてたんです、出演者みんなで。その時に渡辺先生がケーキを2つ頼んでいて(笑)結構びっくりしました(笑)」
(ニコニコ生放送、2015年12月3日)
また、注文する内容は主にケーキが多いようです。
「僕がよく選ぶのはチョコケーキとかチーズケーキとか、味に「はずれ」がなさそうなもの。想像と違うものだったらテンションが下がってしまうので、そこは手堅く。」
「僕の将棋は堅実路線なんですが、お菓子の好みも似ていてオーソドックスなものにひかれますね。」
(朝日新聞)
2006年の竜王戦で、渡辺竜王は佐藤康光棋聖の挑戦を受けます。とある対局場で、渡辺竜王はモンブラン、佐藤棋聖はフルーツルージュを注文しましたが、15時に運ばれてきたおやつが反対に置かれるというハプニングに見舞われます。
「いやっ、僕モンブラ・・・」
指摘する暇もなく、仲居さんは対局者に気を利かせて足早に部屋を去ってしまいました。
対局室は再び静寂に包まれます。
「・・・あの、そのモンブラン、僕のですよね?」と言うべきか、それとも気づかないふりをしてフルーツルージュを食べるか。
しかし盤上を読みふけっている佐藤棋聖が突然顔を上げ、「あ、僕のフルーツルージュ」と言われたら大変です。
相手の動向をじっと伺います。佐藤棋聖は一心不乱に盤上を、渡辺竜王はモンブランを見つめています。
そしてしばらくして佐藤棋聖の手が伸び、モンブランが口の中へ・・・
渡辺竜王は泣く泣くフルーツルージュを食べたそうです。
渡辺棋王にとって初めてのタイトル挑戦となった2003年の王座戦では、羽生王座は700円もするアイスクリームを注文しました。渡辺五段が驚いていると、羽生王座は何とそのアイスに一切手を付けず、一心不乱に指し手を読み続けています。
渡辺五段は溶けていくアイスが気になって仕方がありません。「あの、何だったら僕がアイスを・・・」と言うべきかどうか悩みます。後日には、「羽生さんは最後までアイスには手を付けなかったので、あれで、この将棋は負けたと思いました」とまで語っています。
この時の王座戦はフルセットまでもつれ込み、今では有名となった「勝ちを確信して指が震える」という羽生竜王の震えが初めて見られたシリーズでもあります。紙一重の勝敗を分けたのは、溶けるアイスに心を奪われない集中力だったのかも知れません。
ちなみに、羽生竜王は別のタイトル戦でもアイスを溶かしてしまっています。当事者の深浦康市九段のシュークリームに対し、佳境の局面で運ばれてきた羽生竜王のアイス。ここでも羽生竜王はアイスに手を付けず、10分、15分と経過するうちにバニラアイスは完全に液状化してしまいます。
「ああ、これはもう将棋に没頭しているんだな」
それまでアイスが気になって仕方がなかった深浦九段も、やがて集中力を取り戻します。すると、それからさらに30分ほど経った時、羽生竜王は突然アイスの器を手に取り、もはやバニラジュースと化した液体をおもむろに飲み始めました!
渡辺棋王と同じく、深浦九段も「今日の将棋は負けそうだな」と思ったそうです。
対局場によっては、対局者の注文とは別ににクッキーやフルーツなどが小皿でサービスとして提供されることもあります。しかし時にはサービスが行き届き過ぎることもあり、特大のおやつ膳が運ばれて来てしまいます。2015年の棋王戦では:
この時の実際の注文は、渡辺棋王がガトーショコラとホットコーヒー、羽生名人がプリンとレモンティーです。一流棋士と言えども、さすがにここまでの展開は予想できませんね。
タイトル戦の大舞台で、渡辺棋王が見せるおやつへの強いこだわり。その思考は時として解説の棋士達の予想の斜め上を行きます。
そんな渡辺棋王に対し、ここまで棋王戦で永瀬七段が連発している「大量バナナ」は、相手の動揺を誘う意味でも中々の妙手だと思われますが、渡辺棋王はそれをものともせずに防衛に王手を掛けています。果たして第4局のおやつではどのような駆け引きが見られるのでしょうか?