2018/10/16
驚異的なペースで勝ち星を量産している藤井聡太六段。2月の朝日杯優勝と六段昇段が記憶に新しいですが、早ければ5月にも七段昇段を果たす可能性もあります(竜王戦4組への昇級まで後2連勝)。
そんな藤井六段が今後避けられないのが、先輩に対して上座に座る、というシチュエーションです。勝負の世界である将棋界では、基本的には年齢に関係なく席次が上の棋士が上座に座ることになりますが、実はこの「席次」の決め方はかなり複雑で、厳密な順序よりもその場でのそん度が優先されることもあります。そこで、将棋界における上座・下座事情や、それにまつわる過去のエピソードなどをご紹介します。
「上座」と「下座」の違い
プロの公式戦では、以下の特徴があります:
- 上座の棋士が駒箱を開け、先に駒を並べ始めます
- 上座が王将、下座が玉将を使用します
- 振り駒を行う際、上座の振り歩先となります(記録係などが上座の棋士の歩を5枚振り、表に歩が多く出れば上座が、と金が多く出れば下座が先手番となります)
- 昼食・夕食休憩がある際、上座から先に注文を取られます
いずれも勝負に直接的な影響はありませんが、4点目だけは神経質な性格であれば、相手と被りたくないから先に注文したい、もしくは悩みたくないので「同じもの」を頼むために後がいい、などと気にする棋士もいるかも知れません。
「上座・下座」の決まり方
将棋界における席次は、以下の順に決まります:
- 竜王、名人
- その他のタイトル保持者
- 現役襲位の永世名人
- その他の現役襲位の永世称号保持者
- 前竜王、前名人
- 永世称号の有資格者
- 段位
両対局者が上記の同じ項目に該当する場合は、基本的には棋士番号(プロになった順番)が優先されます。厳密には竜王・名人以外のタイトルにも序列が決まっていたり、永世称号資格者同士の場合は先に資格を獲得した方が優先されるなど、細かい例外はありますが、実際はそのような稀なケースでは先輩・後輩の関係がそのまま上座・下座となることが多いようです。
なお、タイトル戦ではそのタイトルの保持者が、師弟戦では師匠が、上記の席次に関係なく上座に座ります。
将棋界の現在の席次
先に挙げた規定に基づくと、現在の席次は以下のようになります:
- 羽生竜王・棋聖(佐藤名人より棋士番号上位)
- 佐藤(天)名人
- 久保王将(竜王・名人以外のタイトル保持者で棋士番号上位)
- 渡辺棋王
- 中村王座
- 菅井王位
- 谷川九段(永世称号有資格者で棋士番号上位)
- 佐藤(康)九段
- 森内九段
- 以下、段位順
これに基づくと、六段の中で最も棋士番号が大きい藤井六段は、六段以上の棋士との対戦では下座ですが、五段以下の棋士に対しては上座に座ることになります。約160人の現役棋士の中で五段以下は約40名なので、藤井六段の上座姿はまだ比較的珍しいシーンだと言えます。しかし、仮に七段へ昇段すると、六段以下の棋士は全体の半数弱に上るので、申し訳なさそうに上座に着く様子を目にする機会が増るかも知れません。
過去には「上座・下座」で盤外戦も
現代では殆ど見られませんが、社会全体の価値観として年功序列が今以上に重視されていた時代には、後輩の席次上位者が先輩と対局する際に、どちらが上座に着くかで目に見えない火花が散ることもありました。
1984年の十段戦挑戦者決定リーグで、当時22歳の谷川名人に対し、44歳の加藤九段は上座に座りました。加藤九段は十段リーグの順位が上位だったという事実を重視されたとのことですが、谷川名人は「私の座るべき場所がなかった」と後に語っています。対局は異様な雰囲気の中で始まり、谷川名人は初手を指すのに13分を要しています。
1994年の順位戦では、当時23歳の羽生4冠が32歳の谷川王将に対して上座に座りました。こちらは現在では正しい席次(竜王・名人以外のタイトル保持者同士の場合、タイトルの多い方を優先)ですが、当時の規定では順位戦ではタイトル数よりも順位が優先、という暗黙の了解がありました。羽生4冠はこの直後は少なからずバッシングを浴びましたが、その後の7冠達成などの活躍もあり、長期的にはこの対局がタイトル数優先という現在の規定が作られるきっかけとなったようです。
「どうぞどうぞ」、「いやいや」
席次の差が微妙だったり、年齢が離れている場合などは、上座の譲り合いが起こることは現在でも比較的良くあります。
2008年の羽生二冠(王座・王将)との対局で、先に入室した渡辺竜王:
朝、下座に座って待っていると羽生二冠に「まぁまぁ、席次通りに」と言われ
渡辺「いやいや」羽生二冠「まぁまぁ」を2回ほど繰り返し、あまり拒否し続けるのも失礼なので上座へ移動。
(「渡辺明ブログ」より)
こちらは席次通りに収まったので何事もなく終了しましたが、さらに壮絶だったのは、2015年の糸谷竜王対羽生4冠(名人・棋聖・王位・王座)の対局でした。竜王と名人は同格なので、棋士番号上位でなおかつタイトル数も上回っている羽生4冠が当然上座に座るはずですが、何と羽生4冠は下座で待つ糸谷竜王へ上座を勧めたのです!
糸谷竜王の慌てふためく様子が目に浮かぶようです。
必殺の解決法も
上座の譲り合いは日本人らしさが表れる微笑ましい光景ですが、後輩の上位者があまりにも謙虚だと先輩が困り果ててしまうこともあります。
近代将棋に掲載された、2003年の丸山九段対野本七段戦に関する記事です:
この対局、開始前に丸山九段が下座に陣取った。オイラにはこの気持が何だかよーくわかる気がするのですね。何と言っても、野本七段57歳。対する下座に陣取った丸山九段は32歳。年齢差25歳という大先輩に対しては、段位が上だから、といって上座にドカンと座っていられないじゃありませんか。
ところが、後から来た野本先生もこれではやはり納まらない。何と言っても、丸山九段は昨年度まで名人を張っていて、「前名人」を名乗る資格もあった棋士である。野本七段も「実力で上座下座が決まる世界で生きてきた」という勝負師の自負があり、下座は譲れない?のだ。
「だめだよ。俺が上座に座っちゃ、後で皆から殺されちゃうよ」と野本七段が「たのむよ~」という感じで丸山九段に上座を譲る。
丸ちゃんも「いえいえ」と先輩に上座を譲る。
そんなこんなで、どちらも下座に陣取らねば収まりがつかない状態になった。約20秒ほど「まあまあ」「いえいえ」というやりとりがあった後のことであった。
野本七段が左上手を取るやいなや、そのまま上手出し投げを決めて、丸山九段を下座から投げ飛ばしたのである。
下座から丸山九段がコロコロリンとおむすびのように転落し、野本七段が空いた下座に着いた。オイラは心の中で「ただいまの決まり手は、上手出し投げ、上手出し投げで野本七段の勝ち」とアナウンスし、軍配を野本先生に上げた。
(「近代将棋」2003年1月号)
大先輩に上座を譲るのは、温厚な人柄で有名な丸山九段らしい行動でしたが、野本七段としてもさすがに前名人の九段に対して上座へ着くわけにも行きません。それにしても、一説にはベンチプレスを100キロ以上挙げるという肉体派棋士でもある丸山九段を投げ飛ばすとは、野本七段はかなりの怪力だったようです。
藤井六段がさらに段位を上げて先輩に上座を譲るようなシーンが将来訪れれば、あまり譲り過ぎるのも考え物ですね。
コメント
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