2018/10/16
昨日放送された「嵐にしやがれ」が大きな反響を呼んでいる羽生竜王。現役バリバリのトップ棋士がバラエティー番組へ出演することは非常に稀で、クイズやゲームを楽しまれる姿は将棋を知らない方にも親しみを感じて頂けたのではないでしょうか。
羽生竜王は普及にも非常に熱心に取り組んでおられる棋士で、これまで数多くの将棋イベントに積極的に参加されて来ました。これまでにないジャンルの番組へ出演されたのも、棋士という存在をより多くの視聴者に身近に感じてもらいたい、という思いをお持ちなのかも知れません。
そんな羽生竜王が若手時代に行った100面指しと、そこで見せた神対応をご紹介します。
超過酷な100面指し
1993年、当時23歳にして既に4冠王という棋界の第一人者だった羽生竜王は、富山県の小学校で小中学生向けに100面指しをするイベントに参加しました。長テーブルを34台、「口」の字形に並べ、内側に立った羽生竜王が周回しながら一手ずつ指して行くのです。
数十人以上の規模の多面指しは、棋士や女流棋士が内側に複数人入って行うのが一般的です。100面指しともなると、10人がかりになっても不思議ではありません。しかし、羽生竜王は何と一人で100局を指し切ってしまったのです。
一手3秒だとしても、一周辺り約5分。一局につき100手だと合計4時間以上掛かります。その間ずっと横歩きを続けるわけですから、何より足腰が大変です。
ちなみに、羽生竜王はこの4日後にはタイトル戦を控えていたため、公平を期すために主催者が対戦相手の郷田王位にも多面指し(長野県で50面指し)を依頼していました。
ハプニング続出
午後1時20分に対局が始まりました。初心者の子供が多く、六枚落ちが一番多かったものの、中には平手で挑戦する猛者もいました。
やんちゃ盛りの小学生も多く、珍局も発生しました。例えば、羽生竜王の次の手を待ち切れなくなって隣同士で駒を動かして検討しているうちに、局面が元に戻らなくなってしまいました。このような悪意のないケースもあれば、中には敗勢になってから2手指しや3手指し(!)を試みる子供も。
「2手指しまでは許しましたけど、3手指しはさすがに注意しました」と羽生竜王。100面も指していて分かるわけない、とタカをくくっていた小学生は、逆に竜王の凄さを思い知ったのではないでしょうか。
ただし、さすがに100面も指していると羽生竜王にもミスが出て、王手をウッカリして玉を取られてしまった将棋もありました。
偉業達成
午後5時過ぎに最後の対局が終わりました。羽生竜王の体調を心配した主催者は、ピンチヒッターの奨励会員を入れようと何度も提案しましたが、羽生竜王は「いや、大丈夫です」と言って指し続けました。
ちなみに100面指しの勝敗は羽生竜王の64勝36敗。2手指しを何度も許してのこの結果は、さすが竜王と言うべきでしょうか。
少年への神対応
このイベントの様子を伝えた当時の記事より:
最後に羽生竜王が挨拶。
「無事終了できて本当に良かったと思います。私にとっても、今日はとても印象深い一日になりました」
会場からふたたび大きな拍手がわいた。
しかし、挨拶が終わっても、子どもたちは会場を去らない。50人近い子どもたちが、色紙を片手に竜王の前に並ぶ。竜王は疲れも見せずに、その一枚一枚に丁寧に「決断」他の言葉を書き、署名をしていく。
その中に一人、色紙を持っていない子がいた。その子はノートを破り、その紙に書いてほしいと希望した。さすがにノートの切れ端には・・・と竜王もためらう。それを察してか、その子は不安そうに竜王を見上げている。
羽生竜王はどうしたのか。
その子にペンを渡し、その紙片に住所と名前を書いてもらうと、
「東京に戻ってから色紙に書いてちゃんと送るから、待っててね」
この”妙手”とともに、長い一日が終わった。
(「将棋世界」1993年10月号)
ノートや普通の紙にサインを求められるのは、棋士にとっては良くあることのようですが、殆どの場合棋士の方々はそれでもファンを大切にして下さります。
しかし、わざわざ住所を聞いて色紙を送るとは、中々出来ることではないでしょう。
若くして第一人者となられた羽生竜王のこのような背中を見て、現在の将棋界が形成されているのですね。