2018/10/16
佐藤天彦名人に羽生善治竜王が挑戦する第76期名人戦。ニコニコ生放送では激闘の様子を生中継で放送していますが、今回の七番勝負を記念して製作されたPVが大きな感動を呼んでいます。
珠玉のPV
前半はトップを走り続けるための羽生竜王の人知れぬ苦悩にスポットを当てつつ、後半にはそんな棋界の沈まぬ太陽と、下から突き上げる藤井聡太六段という若い才能の間に立つ佐藤名人の「冗談じゃない、俺たちだっているぞ」という心境が代弁されています。ラストの夕陽の美しさとしっとりとしたBGMも非常に印象的です。
ニコ生の将棋PVは毎回非常にクオリティーが高いですが、今回も期待を裏切らない名作が誕生しています。
「昇る落日」
今回のPVの元になっているのは、先崎学九段が書き下ろした「昇る落日」という文章です。PVの映像や音楽も素晴らしいですが、この文章だけでも読者の心を強く打つ力があります。
長い冬が終り、日本人のこころの花、桜が散って名人戦がはじまる。葉桜の下、佐藤天彦名人、羽生善治竜王は、日本一の将棋指しの座を賭けて闘う。名人の称号。それこそは、すべての棋士、奨励会員、そしてすべての棋士を目指す子供たちの憧れのものだ。
羽生は常にトップにいるうちに、どこが全盛期かついに分らなくなった。不調になっても押し返すその姿は、寄せては返す波のようだ。夕陽かと思ったら、いつの間にか朝日に見えてくる。みんな、ア然としながら戸惑う。
持って生れた才能で易しく勝っているかと思う人も多い。しかしすべての棋士は知っている。羽生が沈まぬ太陽でいるために、どれだけもがき苦しみ、毎局毎局歯を食いしばっているかを。
羽生はいつも変革者で革命家だった。まだ荒っぽかった将棋界を、彼は自分が勝つことによって変えてみせた。不世出の大名人大山康晴が近代の将棋界を作ったように、羽生は現代の将棋界を作った。そして今、すこし前ならば、近未来だったAIの世界の中で泳いでいる。
挑戦者、羽生善治竜王
佐藤は何が何でも負けられない。相手は歴史に残る大棋士だが、彼には年令差という強みがある。あらゆる世界は、毎日陽が東から昇るように、新しい時代を若者が作るのを求めている。名人が時計の針を逆回転させてはいけない。
佐藤天彦名人
藤井聡太が出てきた時、羽生は、彼ならばこの世界を健全に回してくれると思ってホッとしたはず。そんな相手に「冗談じゃない、俺たちだっているぞ」と見せつけられるかどうか。
僕を含めたすべての棋士、奨励会員、ファンは、ゆっくりとふたりの決闘を見させてもらうよ。日本のもっとも美しい文化のひとつ将棋。つまりは日本でもっとも美しい勝負を。
(ニコニコ生放送)
先崎九段と羽生竜王
先崎九段は羽生竜王と同学年で、奨励会時代から30年以上に渡って羽生竜王を知る人物です。四段昇段は17歳と非常に早く、奨励会時代から天才として注目されていました。しかし、1年遅れて奨励会に入会してきた羽生竜王が先にプロ入りを果たし、先崎九段は羽生竜王に強烈なライバル意識を抱きながら他の羽生世代の棋士達と切磋琢磨を続けて来ました。
先崎九段は優れた文章を数多く発表しておられますが、中でも個人的に強く印象に残っている、羽生竜王について書かれた名文をご紹介します。
1990年の第3期竜王戦で、羽生竜王が谷川浩司王位・王座に1勝4敗で敗れ、1年前に獲得した初タイトルを失った第5局の終局後の出来事です。
(打ち上げの席にて)
「申し遅れました。わたくし山形県○×協会□▽と申します。いやあ羽生さん。まあ気を落とさずに。まだお若いんだから」
「はあ、そうですね。また頑張ります」
こんな会話が僕の視線のさきから聞こえてくる。その向こうからは「おめでとうございます」の声がひっきりなしに飛んでくる。
(中略)
谷川さんの顔は、子供のような顔だった。誤解されるといけないので説明すると、オール5を貰って、家までスキップでもしながら帰るときの子供の顔だった。鍋は熱く、ときに顔から汗が滴り落ちたが、その汗は、相手をKOしたボクサーやウイニングパットをしずめたゴルファーがみせるすがすがしい汗だった。
羽生は、顔面神経痛になっていた。
愛想笑いを浮かべているものの、慰めともつかない言葉をかけられるたびに(これは彼の癖なのだが)、顔がゆがんだ。
少し腹が立った。ポーカーの大勝負で一文無しになった男に「惜しかったね」といってなんになるのか。最愛の恋人を奪われた男に、初対面の奴が「女なんて星の数ほど・・・」といってどうなるのか。しかも奪った恋敵がすぐそばにいるのだ。
みかねたので「こっちで飲もう」といって小林さん(健二八段)、杉本君(昌隆四段)と一緒に飲んだ。
(中略)
それからどのくらいたったのだろうか。もう日付も変わったころに、飽きたので麻雀をやろう、ということになり、麻雀が始まった。羽生はこわばった顔をいつもの顔に戻して、覚えたての麻雀を楽しんでいた。
と・・・、そこに谷川さんと塚田さんがNHKの関係者数名と連れ立って、入って来た。モノポリーが終わったのだろう。入って来ると、みんなで羽生の右後ろに座り、酒を飲み出した。塚田さんはワンカップを飲んでいた。僕は、信じられなかった。羽生の顔がしかむのがわかった。
おそらく谷川さんに悪意はなかったのだろう。塚田さんは酔っ払っていたのだろう。しかし、あまりにも”配慮”が欠けているように感じられた。僕の感性では、このようなことは、あってはならないことである。勝者は部屋に戻ってゲラゲラ笑えばいいんだ。気の合う仲間と喜びを分かち合えばいいんだ。あるいは街に出て女をからかうのもいいし、みんなの前でパンツを脱いでもいいだろう。
だが、夜ふけたころに、負けた人間が、気を紛らわすために遊んでいるところに来ることはないじゃないか。いくつも部屋があるなかで、わざわざそこで飲むことはないじゃないか!もう一回モノポリーをやったら、といおうとして、ハッと口をつぐんだ。目の前でやられてはかなわない。かといって先輩に「どこかに行っていただけませんか」というわけにもいかない。僕はだんだん錯乱してきた。
「この部屋にいるからには、この麻雀のトップ賞として十万円出してください」
といったかと思う。約四、五回このせりふを繰り返した。とにかく、僕は、尊敬してやまない谷川浩司先生にカランデシマッタのである。ああ、畏れ多い。
日ごろならば、羽生もちゃちゃを入れるところだが、彼は、麻雀に没頭しているのか、それとも不機嫌なのか「ロン、ポン、チー」以外の言葉を発しない。
(中略)
その後は記憶がない。僕の記憶がなくなるのが早かったか、谷川さんがいなくなるのが早かったか、とにかく、その日はそれで終わった。
朝、起きると天井が回っていた。羽生が横に寝ていたので羽生の部屋だとわかった。布団を敷いた覚えがないので、もしかしたら敷いてくれたのかもしれない。
ヒドイ二日酔いなのでとにかく風呂につかることにした。部屋を出ようとすると、玄関に、朝刊が置いてあった。
もちろん一面には「谷川奪取」の記事がある。僕は、その新聞をそっと隠すと「一緒に行かないか」と声をかけた。
「一人で行って・・・」
といって羽生は足をバタバタさせた。今にして思えば、あのとき、枕カバーに涙の染みがあったかどうか、見ておけばよかったと後悔している。
(先崎学「一葉の写真」(1992年)より)
「羽生が沈まぬ太陽でいるために、どれだけもがき苦しみ、毎局毎局歯を食いしばっているか」という今回の名人戦PVの一文には、羽生竜王を若手時代から知る先崎九段ならではの実感が込められています。