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タイトル戦敗者の歴史:羽生永世七冠誕生は誰の責任?

time 2018/03/12

3月9日発売の別冊少年マガジンに掲載された「将棋の渡辺くん」では、羽生永世七冠誕生に沸いた昨年の竜王戦を「渡辺くん」目線から振り返っています。勝負には常に敗者がつきものとは言え、背後からカメラを向けられ続ける渡辺くんの姿は、何とも切ないものでした。


今回はそんな敗者の存在に注目しながら、将棋界の歴史を振り返ります。

出典:読売新聞

タイトル戦の平均年齢から見る時代の変貌

以下のチャートはタイトル戦の勝者と敗者の年齢を、年度別にそれぞれ平均したものです。青が上であれば年上の王者に若き挑戦者達が敗退していた時代、橙が上であれば年下のチャンピオンが先輩達をなぎ倒していた時代、ということになります。

タイトル戦平均年齢(:タイトル戦勝者、:敗者)

大山時代

1950年代後半から1970年頃までは、大山15世名人の無敵時代でした。特に1957年から1967年にかけては、開催された50回のタイトル戦全てに登場するという前人未到の記録を成し遂げています。初期には兄弟子の升田幸三実力制第4代名人との戦いもありましたが、それ以外は二上、加藤、山田といった年下の挑戦者を退けるタイトル戦が多く、青線が橙を大きく上回っています。

中原時代

1970年、中原16世名人が棋聖・王将の2冠を奪取し、青線が急降下します。その後は大山15世名人との凌ぎ合いが続く中で徐々に勢力を拡大し、1980年頃まで米長、加藤らの先輩を抑えて天下を取ります。

谷川時代

1983年に谷川九段が当時史上最年少となる21歳で名人を獲得すると、タイトル戦の平均年齢も徐々に低下して行きます。この時代は橙線が青線を総じて上回っており、中原16世名人より上の世代は徐々にタイトル戦の舞台から姿を消して行きました。

羽生時代

1995年度に羽生竜王が並み居る先輩棋士達をなぎ倒して史上初の7冠独占を果たすと、青線は25歳で底を打ち、橙線との差は大きく広がります。そしてそれ以降、タイトル戦の平均年齢は概ね羽生竜王の年齢と比例して緩やかに上昇します。羽生竜王以外のタイトル戦の常連の多くが、森内、佐藤(康)ら同世代の棋士だったことも影響しています。

永世七冠誕生は誰のせい?

出典:「将棋の渡辺くん」別冊少年マガジン2018年4月号

「俺のせいじゃないから!!」という「渡辺くん」の心の叫びが聞こえてきますが、先のチャートを客観的に見てもこれは事実でしょう。渡辺棋王が初めて竜王を獲得した2004年から2010年頃まで青線が橙線を下回っているのは、羽生世代に一人で立ち向かった年下の渡辺棋王の踏ん張りに他なりませんし、2008年と2010年には羽生名人(当時)の挑戦を退けて永世七冠の誕生を2度も阻止しています。

2012年には自信初の3冠となり、翌年に羽生3冠に挑戦した棋聖戦は、勝てば4冠という名実ともに世代交代を果たす可能性があった歴史的なシリーズでした。

渡辺棋王はタイトル戦に27回登場した中で、19期獲得(歴代5位)を果たしています。将棋界の長い歴史の中で永世称号を複数獲得した棋士は渡辺棋王を含め4人しかいませんし、羽生竜王とのタイトル戦に限っても4勝4敗と互角に渡り合っています。

永世七冠は羽生竜王が偉大なのであって、むしろ渡辺棋王がいなければ数年前に達成されていても何ら不思議ではありません。という言葉を結びにして、渡辺棋王の棋王防衛と来期の復活を祈願したいと思います!

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