2018/10/16
プロの公式戦における反則負けは、最も多いのが二歩と二手指しで、それぞれ全体の約50%と25%を占めます。特に二歩は秒読みだとトップ棋士でも完全に逃れることは不可能で、近年でもNHK杯戦やJTプロ公式戦などの注目度が高い舞台で発生しています。
また、考えながらしゃべり続けなければならない解説者ともなると、棋士と言えども二歩を打ってしまうことは決して珍しくありません。
一方、二歩と二手指し以外の約25%の反則には、詳細を聞かなければ状況が理解できないようなユニークなケースも多々あります。今回はその中から選りすぐりの珍反則をご紹介します。
反則その1:「自滅」
1991年の早指し将棋選手権、北村昌男八段vs植山悦行五段の一戦。先手の植山五段が中盤からリードを奪い、一時は必勝に近い形勢でしたが、一手30秒の秒読みの中で徐々に形勢が接近して、迎えた112手目の局面:
ここで植山五段は後手玉の急所を突く▲6四歩と指しましたが、この手により先手玉に王手が掛かってしまいました・・・
自らの玉に王手を掛けるという、「自滅」とでも言うべき珍しい反則負けです。
反則その2:「全打ち」
1998年の銀河戦、島朗八段vs丸山忠久八段の一戦。相矢倉から後手の丸山九段が丁寧な受けから駒得を重ね、着実にリードを広げます。
数手前に島八段は後手の成銀を取って持ち駒に加えていましたが、その際に駒を裏返さずに「成銀」のまま駒台に置いてしまいました。そして「全」と書かれたその駒を「金」だと錯覚してしまい、「金」を打つつもりで▲4二「成銀」と指してしまいます・・・
当時の島八段の釈明文(?)より:
丸山八段はリードを広げるべく考慮時間を使って、△6七成銀と金を取った。▲同玉。その成銀を私は表に戻さないまま駒台に乗せた。これを見て解説の富岡七段は(妙だな)と感じたそうだ。確かにプロアマ問わずほとんどの人は取った駒を表に戻して台に置くはずだから。もちろん私も普通はそうする。が、この時の自分は金を取ったと思いこんでいたのだ。また、これは言い訳とかではなく一応の客観的条件として解釈頂けると大変ありがたいのだが、通常の対局と違ってテレビ関係の対局では視聴者にわかりやすく一文字駒を使用する。つまり金将・銀将などは全て金・銀と表記しているという伏線もあった。(注:一文字駒の成銀は「全」と表記されており、金とかなり似ています)
局面はそれから五手くらい進んで、私はその駒を4一に打とうか4二に打とうか少し迷った。持駒は銀に歩が数枚。駒台には裏返った銀に歩が数枚。もちろん私の頭の中には金と歩が数枚だ。決断して、駒台の成銀を4二に駒音高く打ち込んだ。するとふだん動揺を見せない丸山氏が「うっ」と低くうめいたような声を出したように感じた。
そうか、そんなにこの手はいい手だったのか。しかし声を出すほどの一手でもないような気がするけど……。
そうなのである。普通は「反則に好手あり(いま作った格言)」で、二歩などはだいたい好手であることが多い(相手もまず読んでいない)のだが、この場合の▲4二成銀打ちは後手の矢倉の金がまだ3二、4三と残っているところに打っていく筋なので、今の格言があてはまらない俗手であった。
何か空気が変だ。記録の大庭美樹さんも秒を読むのをやめて呆然と盤上を見つめている。時間にしてどれくらいたったのだろう。丸山八段が小さく「銀……」とつぶやく。後から聞くと、彼も大庭さんも盤上の金の枚数を数えていたそうだ。
私は依然のん気なもので、金が二枚も隣接しているのに、まだ全くその事実に気づいていない。これまで自分は悲観的な人間かも知れないと考えたりしたこともあったが、この件でどうもそれがかなり怪しいと思わざるを得ないのもわかった。丸山さんに指摘されてさらに数秒はたってからようやく(へ?)と徐々に事の重大さに思い至ったのである。
(中略)
投了後カメラが止まってから、私は思わず成銀の裏を見た。プロになってこんな状況を体験するとは我ながら信じられない思いであったが、野球選手がエラーをした時にグラブを見るように、それはきっと深層で自己弁護をしている行動なのかもしれないと感じつつ、銀の文字をしっかりと確認した。
(「将棋世界」1998年9月号)
反則その3:「プレゼント」
2001年の関西奨励会で行われた、佐藤天彦1級対糸谷哲郎3級の対局。当時から早見え早指しで鳴らしていた12歳の糸谷3級は、本局でも早指しで飛ばしながら必勝形を築いていましたが、その中で相手の銀を取る着手がありました。
その際、糸谷3級は取った銀を自分の駒台ではなく、相手の駒台に置いてしまいました・・・
一説によると、あまりに形勢が大差となったことで、棋譜並べを行っている(棋譜並べでは一人で双方の駒を動かします)時の感覚と錯覚してしまったそうです。
当時奨励会幹事だった井上慶太八段は、前代未聞の事態に悩んだ末、反則負けの裁定を下します。糸谷少年は当初は号泣しましたが、井上八段が「いやあ、こんな手は初めてやで。君は大物かもしれんなあ」と慰めると、ピタっと泣き止んだそうです。プロ入り後の糸谷八段の活躍を見ると、井上八段の予言は結果的に当たっていたようです。
プロの公式戦でもごく稀に発生してしまう反則負け。しかしそれらが起こる過程で見られる、人間同士による死力を尽くした戦いからは、反則を指し得ない将棋ソフト同士の将棋にはないドラマが数多く生まれています。