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幻の不詰め:谷川vs羽生戦のハプニングと佐藤康光九段の災難

time 2018/03/15

羽生善治竜王と谷川浩司九段の過去の対戦成績は、羽生竜王から見て103勝62敗です。165局という対局数は、中原vs米長(180局)、大山vs升田(167局)に次ぐ3位で、数多くの名局が生まれてきました。


出典:朝日新聞

特に終盤力においては他の棋士の追随を許さないこの両者の対局では、控室で検討する棋士が誰も予想していなかった絶妙手が飛び出すことも多々ありました。そのような体験の積み重ねによって培われた両者への絶大な信頼は、仮に最善手でなかったとしても他の棋士を強烈な疑心暗鬼に陥らせてしまうほど強力です。

今回は羽生竜王と谷川九段が揃って同じ見落としをした珍しい対局と、それによって佐藤康光九段の身に起こった不幸をご紹介します。

両者が見落とした幻の不詰め

1997年に行われた第55期名人戦第1局。相矢倉から両者一歩も引かない殴り合いへ発展し、先手の谷川竜王が▲4一銀と打った局面:

非常に多くの駒がぶつかっている様子が激戦を物語っています。現局面は、後手は△6七飛成と金を取れば先手玉は受け無しですが、その瞬間に▲3二銀成から自玉を詰まされてしまいそうな状況です。△同玉と取った時に後手玉には▲4一角、▲2三桂成、▲4四桂など危険な筋が非常に多く、手数こそ長くはなりそうですがとても助かってるとは思えません。

ましてや相手はあの谷川竜王です。一直線の斬り合いに踏み込んだということは十手以上前からこの局面を想定して指し進めているはずで、当然詰みを読み切っているでしょう。

羽生名人も考えた末に自玉に詰みありと判断し、△6三飛と馬を取って受けに回りました。しかしその後は後手にチャンスが訪れることはなく、谷川竜王が名人奪取へ向けて幸先のいいスタートを切ります。

見つからない即詰み

その当時、将棋会館で名人戦を検討していた先崎学八段のエッセーです:

茶色のスーツをパリッと着た郷田がいた。連盟道場の解説役だそうである。さっそく盤が出され研究がはじまる。彼もニコニコしている。

問題の局面の数手前だった。数多の変化が並べられて消えていく。その中に本譜の手順もあった。僕はまわりに、「これは詰むよね」といった。気楽な研究である。そうだろうね、で局面は元に戻された。

手を止めて衛星放送を見ていると、我らが研究の通りにどんどんすすむ。両者の指し手は早く、あっけない程である。

誰かが「本当に詰むんでしょうね」といった瞬間、僕はビクッとした。密かに詰みを考えていたが、なかなか分からなかったからである。

皆で盤とにらめっこがはじまった。一分が過ぎ五分過ぎ、誰も声が出ない。それもそのはず、詰まないのだから。だがこの時はそれを知るよしもない。

「あっ詰んだ」と大声が出る。並べる。と、上手い受けがあってどうしても詰まない。「分かった」と叫ぶも、やはり詰まない。そんなことが十回以上繰り返されたろうか。谷川さんが▲4一銀と打ったという情報が入った。

続いて詰めろをかけずに馬を取って受けに回ったという続報も飛び込んで来た。「ええっ」と反射的に大声が出た。何故だ。

夕食もとらずに悶え苦しんでいると、解説が休憩になって郷田が入って来た。「ねえねえあれ詰むの?」と郷田がいった。「どうしても分からないんだけど」

「知らないよ、もう一時間は考えている」

僕は答えて、郷田に盤の前に座るようにうながした。見ると、目が吊り上っている。またにらめっこ再開である。

彼の目が吊り上るのには訳があって、解説役としては、詰むか詰まないかを、はっきりという必要がある。詰まないといってもし詰みがあれば大恥をかくことになる。僕は心の中で結論を出すだけなので気楽だが、郷田は三十分後には口を開かざるをえないのだ。

名人戦でなければ、あるいは羽生-谷川戦でなければ、我々は無言で三十分盤の前に座っていなかったろう。すでにその前の研究であらゆる変化をしらみつぶしにしている。それでも考えつづけたのは、もしも、に対する恐怖だった。考えれば考える程もしも詰んでいたときのショックが大きくなる。

解説再開が近づいてきた。「どうする」と僕は訊いた。

「俺なら開き直って詰まないというぞ」

郷田はうーんと唸ると口の中でごにょごにょ呟いた。

「だけど・・・しかし・・・」

「のべ一時間以上考えたんだ。羽生、谷川が阿呆か我々が阿呆かどっちかだ。勝負するしかないだろう」

僕が吐き捨てるようにいうと、郷田は意を決したように「うん」とうなずいた。

郷田がいなくなって記者室に一人佇んでいると、颯爽と佐藤康光君が入って来た。」ブルーのシャツなんか着ちゃって、あいかわらずのモテ光君なのだった。なんでも家で衛星放送を見ていたのだが、どんなに悩んでもやはりおかしいので、皆の意見が訊きたくて、わざわざ車を飛ばして連盟まで来たという。モテ光君は真面目なのである。

「おかしいですよね。絶対におかしい。詰むに決まってます」「じゃあ佐藤君、君は詰むと思うのかい」

「いや思いません。でもおかしい」

じゃあ、というのでもう一度盤の前に座ることになった。モテ光君は次から次へと手を捻り出してくるが、こっちには一時間半の読み筋の蓄積がある。片っぱしから退治していくのは気持ちが良かった。

小一時間後、二人は押し黙ってしまった。誰かが、コンピュータに入れれば一発ですよ、といった。二人の目がきっとなって睨みつけた。

(先崎学「フフフの歩」より)

当時の時代背景として、将棋ソフトはまだせいぜいアマ初段程度の実力で、棋士が検討に使うことはありませんでした。ただし、最終盤の詰みのあるなしを判定する能力だけは既にプロに匹敵するレベルでした。とはいえ、将棋を指せば2枚落ちでも人間が圧勝してしまうような将棋ソフトに詰みを調べさせることは、大多数の棋士にとってプライドが許さない屈辱でした。

佐藤九段の災難

そうこうしているうちに、谷川竜王が勝利を収めます。ただし、ネット中継などない時代なので、両対局者の感想などはすぐには入って来ません。「もしかしたら詰むのか」という疑心暗鬼からもまだ逃れられません。

佐藤君と僕は釈然としない気持ちを抱えたまま、飯を食おうといって連盟を出た。夜の街をドライブしながら、我々はかわりばんこにため息をついていた。

車持ちにとって、こういう時に、駐車場に入れるか路上駐車で済ますかというのは大問題である。僕は運転こそしないもののそのぐらいは分かる。

「おい、どうするねん、車、その辺に止めて飯、食うか」

「はあ、どちらでもいいですけど」

「ところで、今、点数なんぼ残っとるんや」

「えっ、たしか・・・あれ分からないや。つかまったことはあるんですけどね。えーと路駐に、シートベルトに・・・」

「そりゃまずいよ、下手すりゃ免停だ」

「えっ免停って24点じゃないんですか」

なんとモテ光君は、24点減ると、免停だと思っていたらしいのである。持将棋じゃないんだから。

「24点は免許取り消し、免停は6点だよ」

なんで車乗らん俺が教えなければいけないのだろうか。おおらかな男である。

免停になると府中に行ってだな・・・と話していると、佐藤君が「あの・・・」と訝った。

「あの・・・どうも後ろにパトカーがついて来るんですけど」

振り向くと、確かにウーウーサイレンを鳴らしながらパトカーが何やらわめいている。まさか我々じゃあ・・・。

「先チャン、ベルト、ベルト、ベルトして下さい」

「前の車、止まりなさい。端に寄せて止まりなさい」

ああ、やはり獲物は我々だった。性格にいうと佐藤君だった。違反の話をしていた直後に捕まるなんてシャレにもならない。

景観が窓をトントンと「叩く。シートベルトを指で指した我々に警官はいった。

「お宅、さっき直進禁止の所、直進したでしょ。駄目だよ。ちゃんと標識見ないと」

佐藤君が、小さく、ひーと悲鳴をあげた。「はあ、そうだったんですか」

形式的な手続きが始まる。「名前は? 住所は? えーとお宅、職業は?」

「はい、棋士です」

「へー棋士って、あの馬に乗る奴だ」

そりゃ騎手やがな。

横を暴走族のマフラーなしのバイクがパラパラしながら通り過ぎる。むかついた僕がいった。

「おうお巡り、俺達よりも、ああいうのこそ捕まえろよ」

いうやいなや佐藤君が抱きついて小声で囁いた。

「ここだけはじっとしていて下さい。事を荒立てないで下さい」

最後に佐藤君がサインをした。いつも色紙に書くような、少しくずした字である。

「お宅の字、康光ってどうしても読めないんだけど、もう一度書いてくれない」

助手席の僕は、腹を抱えて笑うよりなかった。

飯を食いながら、モテ光君ボヤくボヤく。

「あーヒドすぎる。ツイてなさすぎる。今日の事は早く忘れよう」

「そやなー」

「あんな事を話しながら捕まるなんて出来過ぎだ。間抜けだ」

「そやなー」

「だいたいだな、先崎が連盟に居るからいけないんだ。君の顔を見たのが敗着だ」

「・・・そうかな」

「いやもっといけないのは、名人戦だ。羽生君が金を取ってくれれば、俺は連盟になんてこないですんだんだ。谷川さんも谷川さんだ、なんで銀を打ったんだ。お陰でヒドイ目にあった。今夜は眠れません。それに・・・それに・・・」

「それに・・・なんだい」

「それに、酒も飲めない。これでまた捕まったら阿呆すぎます」

アツくなりながらも冷静なモテ光君、なのだった。

(先崎学「フフフの歩」より)

羽生vs谷川戦、再び

佐藤九段や郷田九段をも惑わせてしまう、羽生vs谷川戦。それは将棋界における伝統の一戦とでも呼ぶべき黄金カードで、数多くのドラマが生まれて来ました。

将棋名局集「△7七桂」:羽生vs谷川 第9期竜王戦第2局

将棋名局集「△7六金」:羽生vs谷川 第64期A級順位戦プレーオフ

そんな羽生vs谷川戦が、今年の王位リーグで3年ぶりに実現します。今年度は復活の兆しを見せている谷川九段は、往年のような名勝負をもう一度見せてくれるのでしょうか。

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